月刊ほんコラム 図書館司書のつぶやき
連載第七回
課題解決支援サービスの課題

つぶやき

 

課題解決支援サービスの課題

 

 課題解決支援サービスとは、ビジネス支援サービスのように、図書館の資料(図書・雑誌・新聞等)やデータベース等による情報提供により利用者が自ら課題を解決する支援を行うという意味である。従来、図書館というと、読書を通じ教養を身につけるところ、楽しみとしての読書をするところというイメージの方が強かった。もちろん、読書を通じ教養を身につけたり、楽しみとしての読書が重要でないということはない。とくに「教養」は、主権者として政治的判断をするときには、なくてはならないもので、近代の民主制においては、教育が重視され、学校教育や社会教育によって、市民的教養を主権者が身につけることが要求されている。古代の民主制は衆愚政治により失敗し、それがため、政体は、民主制、貴族制、君主制を循環するというような考えもあった。アリストテレースは哲人政治を理想とし、万人は哲学者であると言っているが、万人が哲学者たりえれば、優れた人の専制(優れた人でも専制は専制だと思う)でなくても、民主制のメリットは大きくなってくるだろう。近代の民主制が主権者の教育制度とセットであるのは、当然、こういう背景がある。公共図書館もこの重要な要素である。一定の教養や知識が共有されていれば、本当の対話やディスカッションが可能となる。専門家のディスカッションは専門的知識の共有によって成立しているが、一般人においても、とくに、政治においては、一定の教養や知性がないと、ディスカッションというより、ただの言い合いや利益の取り合いに堕してしまう。政治というものが、特定の集団のものではなく、一般社会におけるものであるとすると、一般教養や知性は必須なのである。

 しかし、教養ないし知性というものは、ある国が戦争をするかしないかといった局面では、大いに役に立つが、潰れそうな自分の店をどうしようかとか、深刻な病気にかかってしまい、治療法を選択しなければならない時にどうしようとか、そういう時にすぐに役に立つかというと、普通はそうもいかない。そんな切羽詰まった課題に、必ず図書館が応えられるというわけでもないが、しかし、まったく応えられないということもない。とくに、資料や情報源が豊富で、検索システムが充実し、それらを案内する司書の水準が高ければ、役に立つ可能性はどんどん高まってくる。

 ここが非常に重要だ。

 つまり、課題解決支援サービスの課題とは、(1)資料・情報資源の充実、(2)検索システムの充実、(3)司書のレベルアップが、基本的なものなのである。各種のイベントや団体・機関との連携も重要だが、基本的に重要なのは、この3点である。なぜなら、これらは図書館でしか提供できない核(コア)となるものだからである。

 次にこの3つについて、とくに問題となる点を述べていきたい。

 まず、資料・情報資源の充実という点から言うと、まず、図書館なのに、図書そのものが少なすぎる。とくに、今、役に立つ新しい図書が少なすぎる。確かに東京のような大都市においては、図書館にかなりの種類の図書があるが、それでも、小説はたくさんあるのに、ビジネスに役立つ図書などはまだまだ足りない。東京は世界都市であり、ビジネス・センターであるはずなのに、もったいない話である。

 もっと深刻に足りないのは雑誌で、本格的に何かを調べれば、必ず、雑誌論文を読みたくなるものだが、今の公共図書館で、それをある程度満足できるのは、極めて限られた図書館だ。日本図書館協会発行の統計書『日本の図書館』2016年版によると、都道府県立図書館で購入している雑誌タイトル数は、最高が東京都立図書館の4295タイトル、最低が宮崎県立図書館の48タイトルである。48というのは、480の間違いではないかと思うほど差がある。これはさすがにおかしいと思い、宮崎県立図書館のサイトの雑誌リストを見てみたところ、『日本の図書館』で購入ではなく「受入」(つまり寄贈も含む)数となっている392と一致した。ちなみに東京都立図書館の『日本の図書館』2016年版による雑誌受入種数は8852なので、これもとんでもない差がある。

 雑誌は何を雑誌と数えるかという微妙な問題がからむので、この一事でいろいろ言い立てるつもりはないが、普通の書店で注文すれば一応来ることになっているような雑誌がおよそ3100種類くらい(書店向けのトーハン『雑誌のもくろく』2016年版には約3100種類掲載)、そして、メディアリサーチの『雑誌新聞総かたろぐ』2017年版には約14000種類掲載されている。東京を除けば、あまりにも雑誌タイトルが少なすぎる。これでは、課題解決支援と言ったところで、あまり大したことはできない。